【エッセイ】やまゆり園事件 を考える そこに社会の本音があるのかもしれない

「菜の花で埋め尽くされた絨毯」の写真

こんにちは!クレです。

2016年に植松聖 被告が引き起こした
障がい者施設「津久井やまゆり園」入所者19人刺殺事件。
日本史上類を見ないほどの凶悪事件です。

この事件に関しての私見を書きます。

やまゆり園事件とは

やまゆり園元職員:植松聖
津久井やまゆり園で2016年7月
重度障がいを持つ入所者19名を殺害し、
職員2名を含む26人に重軽傷を負わせた事件です。

事件の動機

意思疎通のできない障がい者は、社会の負担になるから
安楽死させるべきという、主張

判決

2020年3月16日、横浜地裁にて
死刑判決を言い渡される
 

私見...掘り起こされたもの

19名もの命を奪ったのだから死刑判決は当然だと思います。

とてもではないが
「意思疎通のできない重度障がい者は生きていても不幸をもたらすだけだから安楽死させるべき」
というこの主張を認めるわけにはいかない。

しかし、この主張を完全に否定ができるのだろうか?
自分たちの心の中に少しでも賛同している部分は無いのだろうか?
この植松被告は、社会や私たちの心の中でくすぶっている
思っていても言わない事、言えないような事を
己の歪んだ考えの末に行ったのかもしれない。

自分はそんな事は絶対に思わない!という方もいると思いますが、
命はきれい事だけでは済まされないものです。

例えば、
命の選択と言われている
「出生前診断」
これは生まれてくる命に異常がないか調べるための物です。
異常がなければ親は胸をなでおろし
異常があれば命の選択をすることになる。

出生前診断は何を調べるため?
どのような結果が怖いから?
いまあなたが想像した事が答えなのかもしれません。

※僕は出生前診断については個人の自由であり、
当事者達の決断に口を出すべきではないと思います。

今回の相模原殺傷事件で、掘り起こされてしまったのは、
僕たちが隠してきた差別意識なのではないのだろうか。

植松被告のした事は、
絶対に容認できない事であり許されない事です。

障がい児を育てる親として

僕の息子はダウン症です。
軽度の知的障害がありますが、
話すこともでき、意思の疎通をすることも出来ます。

息子が生まれた時は障がいに対する知識も乏しく
「話すこともできない、一生介護の生活か...」
と絶望の底に叩き落されました。

ダウン症候群は早期療育で話すことが出来るようになる、
という情報を得てからは、とにかく情緒面やコミュニケーション能力に
重点を置いて療育をしてきました。
その甲斐もあってか、順調に成長しコミュニケーションも取ることが出来ます。
一緒にいてとても楽しく、愛する息子です。

障がいを持った息子を育てていく中で、
たくさん得ることが出来たものがあります。
それは、障がいに対する知識だったり、
自分とは違う考え方を認める、理解しようという気持ちだったり
自分の中で良い変化を得ることが出来ました。
精神的な成長も出来たと思います。
息子からたくさんの事を教わりました。

本当に障がい者は不幸しか生まないのだろうか?
僕はいま幸せです。


しかしそれはあくまでも
〚重度の障がいではない〛からなのだろうか?

息子が障がいを持って産まれた時
意思の疎通が出来ない〛
かもしれないという事に絶望しました。
僕は息子が意思の疎通が出来ない重度の障がいを持っていたとしたら
同じことを言えるのだろうか?

現実に意思の疎通のできない
重度の障がいを持つ方は居ます。
社会としてその人たちをどのようにすることがいい事なのか
僕には答えがわかりません。

障がいをタブー視するのではなく、
オープンに話し合えるような社会になれば
この難題を解決できる日が来るのかもしれません。


最後までお読みいただき有難うございました。

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